涙なくして・・ (スリーピー・ジョン・エステス)

Sleepy John Estes (1904~1977)

ブルースは悲しいだけのモノじゃ無い。分かってはいるけれど彼の「最発見」後のブルースはやっぱり悲しい。

再発見に救われた男

スリーピー・ジョン・エステスは1904年テネシー州ラウダーデイルに生まれる。
11才の頃、事故で片目の視力を失うが、父に買い与えられたギターによって農業の傍らブルースマンの道を歩む。
「最発見」後のやつれた老人のイメージからは想像しがたいが、相棒でハープのハミー・ニクスンによると、若い頃のエステスは「ロバのように屈強な男」だったらしい。

29年?41年に約50曲を録音。その後他のカントリーブルースマンと同じく活動の機会を奪われ以後消息不明となる。(1947年にシカゴ、マックスウエルズ・ストリートでの録音が一曲だけ残されている。この頃消息不明のはずだが?)

ビッグ・ビル・ブルーンジーの「エステスは生きていれば87才くらいになっている」という発言(実際には55才くらいだった。)から、死亡説が信じられていたが、1962年にブラウンズヴィルで再発見される。
この時のエステスは電気も水も通っていない粗末な掘建て小屋に住み、若い奥さんと5人の子供を抱え極貧状態だったという。

1957年頃には貧しさからすでに全盲になっていた。
晩年からの失明のためブルースで稼ぐ道も断たれ、ギターもとっくに売り払っていた。
その後、復活したエステスは相棒ハミー・ニクスンと共に多くの録音を残し、1976年には来日を果たしている。

RATS IN MY KITCHEN

この人の「売り」は「貧乏」である。(ただし「最発見」後に限る。)
「貧乏」が売りになるのはMr.オクレとこの人ぐらいである。(何のこっちゃ)

「スリーピー・ジョン・エステスの伝説」はその点ベスト・パフォーマンスだ。まずジャケットの両手を前に組んでうなだれる写真。カポタスト代わりにギターに結わえた鉛筆。
一曲目からねずみにわずかな食べ物さえ奪われるという内容の「RATS IN MY KITCHEN」。絞り出すようなハイトーンのボーカル。
多少演出のきらいもあるが、分かっちゃいるけど涙なくして聞けないオススメの一枚。