ブルースコラム~歴史とエピソード

デルタブルースの創始者 (チャーリー・パットン)

Charley Patton (1891?~1934)

デルタブルースの創始者

もちろん彼が「BLUES」という音楽を生み出したわけでは無い。

実際、彼が残した「BLUES」と名のつく曲の中にも現在の定義と懸け離れたものもままある。

おそらくこの当時はまだ歌っている当人たちにも音楽的な定義など無かったのであろう。

「BLUES」の定義なんて物は後から白人たちが彼等の音楽を理解するために考えだしたものではないかとも思う。

ただ、彼が活躍し始めた1910年代に「BLUES」というジャンルが認識され始めたという事実と、彼がそのジャンルではトップ・スターであり、ロバート・ジョンソン (Robert Johnson)をはじめ、後に名を残すブルースマンたちが彼に畏敬の念を抱いていたことを考えるとチャーリー・パットンこそがデルタ・ブルースの創始者であると言っても過言ではなさそうだ。

彼についての資料は少ない。生年も1881~1891年まで諸説あり特定出来ない。

ジャケット写真などで彼のポートレートを見た方はお気付きだろうが彼は純粋なアフリカ系の黒人では無い。 父親は黒人だが、彼の母親がインディアンと白人の血を引いている。

彼の父親は敬虔なクリスチャンでパットンが音楽に興じるのをひどく嫌っていた。

当時音楽を聞きに集まる人間は不良、ましてや演奏して金を稼ぐ方はろくなものでは無いと考えられていた。 (実際ろくなものでは無かった。酒と女と喧嘩、パットンも服役の経験がある。もっとも人種差別政策下の法律のため黒人の逮捕など珍しくもなんとも無かったのだが。)

パットン自身も改心して教会で説教師として働いたりもしているが週末になると音楽の魅力に負けて酒場に戻るという暮らしをくり返していた。(説教師と兼業というよりも行きつ戻りつだったようだ。)

1929年から1934年まで数度のレコーディングを経験し60曲近くの録音を残している。

1930年には盟友サン・ハウスとのセッションも残し、1934年ニューヨークでのレコーディングの直後、持病の心臓病(梅毒の後遺症といううわさもある)でこの世を去っている。

オススメとは言えないが…

パットンに限ったことでは無いが、当時はブルースばかりを歌っていたわけでは無い。 求められる音楽はなんでも演奏したようだ。彼のブルースは取っ付き易いとはとても言えない。

観賞用としてはオススメ出来ないが、写真からは想像出来ない濁声、パーカッシブなギター、(叩きまくっている。)スピリチュアルといわれる語りなどブルースの原点を知りたければさけて通れないので、一度聞いてみても損は無いと思う。

そのうち癖になるかも知れない。

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この記事を書いた人

12才よりギターを始めキャリアは30年以上。
20代半ばでブルースに目覚め、集めたCDは100枚以上。

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