クロスロード伝説 (ロバート・ジョンソン)
Robert Johnson(1911~1938)
クロスロード伝説
「ギターが上手くなりたければ、夜中の12時少し前に十字路にいって、一人でギターを弾くんだ。そうすると『レグバ』っていう大柄の黒マントの悪魔がやってきてギターを取り上げる。
そうして彼がチューニングして一曲弾いてから返してくれる。その時から何でも好きな曲が弾けるようになるんだ。」
ロバート・ジョンソン (Robert
Johnson)は夏のある日、とある十字路(クロス・ロード)でギターがうまくなるために自分の魂を売ることを悪魔と契約した。
やがて彼はBluesで名声を得ることなるが、その日から地獄の番犬に追われ、ほどなく契約通り命を奪われる・・・
というのが、いわゆるクロスロード伝説の概要ですが、実際彼は非常に短期間でギターが上達したようです。(ちなみに一世代前の「トミー・ジョンスン (Tommy Johnson)」にも同じような伝説があります。ジョンソンと言う名前は悪魔好きがするのか?)
早くから音楽に興味を持った彼は最初ギターではなくハープを演奏していたようです。
15~6才頃からウイリー・ブラウンにギターの手ほどきを受け、十代後半からサン・ハウス (Son House)や、チャーリー・パットン (Charlie Patton)と交流するようになります。
ブルース史上に名を残す色男
母親の不倫の子として生まれ、複雑な家庭環境で育ったせいかどうかはわかりませんが、彼自身の女癖の悪さも有名で17才で最初の結婚、19才で2度目の結婚をしており、しかも20才の時家政婦をはらませ、旅先にもそれぞれ女がいたと言われています。(とても美人とは言えない女性を選び貢がせていたらしい。相当なジゴロ。彼自身が悪魔?)
22才の時の愛人ステラ・ロックウッドの連れ子が、彼のギターテクニックを伝授された義理の息子として有名なロバート・ジュニア・ロックウッド (Robert Jr. Lockwood)でした。
1936年と1937年の2度にわたるレコーディングで名声を極めたロバート・ジョンソンでしたが、1938年酒場の経営者の女に手を出し、嫉妬した経営者に毒入りのウイスキーを飲まされ27才の短い生涯を終えました。(最低やね)
デルタ・ブルースを完成させた男
僕は彼の熱烈なファンと言うわけではありませんが、彼の音楽性はデルタブルースに宿る魂の叫びを最高の形で表現したと理解しています。
シティーブルースの影響を受けながらも決してJAZZに走らなかった独特のハーモニー感、ファルセットを多用した幅の広いボーカル、そして最低な(笑)生きざままでもが「デルタ・ブルース」そのもののような気がします。
彼の後に彼を超えるデルタ・ブルースマンは未だ、いや、永遠に出現しないでしょう。